街道歩きの旅 ~ 美濃路までを振り返る
毎年年末頃に街道歩きをしてきましたが、難攻不落といわれる関が原付近の街道をもう3年もあるいていますが、一昨年から昨年に歩いた美濃路を振り返ります。
・街道歩きの旅 ~中世東海道、美濃路までを振り返る~
(名古屋から一宮、想像を絶する広大さの木曽川)
一昨年に関東で大雪が降った日に名古屋から一宮へ歩きました。
清洲城跡付近でもおよそ400年前に洪水があって街道跡なども含めて消失しています。
一宮では鎌倉時代の十六夜日記の「~三つなき法を守るなるべし」の歌碑をみることができました、
今年そして来年も世界に三つとない平和憲法をなんとしても守らなければならないとおもいました。
一宮からおそらく中世の街道跡とされる玉の井付近で広大な木曽川を渡ると、長良川との間に及が橋の跡があってこれも鎌倉時代の名を江戸時代の美濃路に受け継いだものだということでした。
(かりの世の 行き来とみるもはかなしや 身をうき舟をうき橋にして、
歌に聞く長良川)
墨俣宿跡から夢にまで見た長良川を歩いて渡って、揖斐川に差し掛かると結神社があって、ここにも十六夜日記の歌が刻まれていました。
結という名前の由来は最初が長良川や木曽川などが集まっている地形的な意味からと思っていましたが、2年目は大垣あたり東海道と木曽街道を結ぶ意味もある感じがしてきました。
いまだにはっきりした由来はわかりませんが美濃路では数々の伝説が残されていました。
そしてここで突然天候が急変して東大垣駅で引き返すことになりました。
昨年は大垣から一旦東大垣駅まで引き返して歩きなおそうとして、偶然鎌倉街道の跡を発見しました。
大垣から美濃路と木曽街道(中仙道)と合流する中世の路は歴史資料もガイドブックもありません。
十六夜日記の歌に笠縫という地名があり、笠縫堤防という歩道があってのでそれに沿って歩いていきました。
笠縫堤防に沿ってしばらく歩くと中仙道の赤坂宿方面に続いていくことがわかりました。
(旅人は みのうちはらふ夕ぐれの 雨にやどかる笠縫の里)
あてのない中世東海道の旅はただ歌のみを頼りに歩いていくしかありません...
・街道歩きの旅 ~中世東海道、美濃路までを振り返る~
(名古屋から一宮、想像を絶する広大さの木曽川)
一昨年に関東で大雪が降った日に名古屋から一宮へ歩きました。
清洲城跡付近でもおよそ400年前に洪水があって街道跡なども含めて消失しています。
一宮では鎌倉時代の十六夜日記の「~三つなき法を守るなるべし」の歌碑をみることができました、
今年そして来年も世界に三つとない平和憲法をなんとしても守らなければならないとおもいました。
一宮からおそらく中世の街道跡とされる玉の井付近で広大な木曽川を渡ると、長良川との間に及が橋の跡があってこれも鎌倉時代の名を江戸時代の美濃路に受け継いだものだということでした。
(かりの世の 行き来とみるもはかなしや 身をうき舟をうき橋にして、
歌に聞く長良川)
墨俣宿跡から夢にまで見た長良川を歩いて渡って、揖斐川に差し掛かると結神社があって、ここにも十六夜日記の歌が刻まれていました。
結という名前の由来は最初が長良川や木曽川などが集まっている地形的な意味からと思っていましたが、2年目は大垣あたり東海道と木曽街道を結ぶ意味もある感じがしてきました。
いまだにはっきりした由来はわかりませんが美濃路では数々の伝説が残されていました。
そしてここで突然天候が急変して東大垣駅で引き返すことになりました。
昨年は大垣から一旦東大垣駅まで引き返して歩きなおそうとして、偶然鎌倉街道の跡を発見しました。
大垣から美濃路と木曽街道(中仙道)と合流する中世の路は歴史資料もガイドブックもありません。
十六夜日記の歌に笠縫という地名があり、笠縫堤防という歩道があってのでそれに沿って歩いていきました。
笠縫堤防に沿ってしばらく歩くと中仙道の赤坂宿方面に続いていくことがわかりました。
(旅人は みのうちはらふ夕ぐれの 雨にやどかる笠縫の里)
あてのない中世東海道の旅はただ歌のみを頼りに歩いていくしかありません...




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