戦乱の果て ~ 太陽の王国


人類がアフリカ大陸に生まれてから東へと勢力を拡大するグローバル化の流れに、あるとき逆の流れが起こりました...




・王国の周辺第三章 戦乱の果て ~ 太陽の王国へ

権力で弱い民族を滅ぼし支配しようとした律令制がほころび始め、東の国の武士が勢力を伸ばしはじめた、その兆しを探し有力な関東武士のひとつである河越館跡を訪れました。
川越市街地からさほど遠くない霞ヶ関付近には、当時の暮らしぶりの跡が良く発掘保存されており、初陣としては幸先の良い発見といえるでしょう。
寺院の跡や茶道具、中国製の磁器、庭園跡などから推測されるのは、当時の武蔵武士は高度な精神文化を持ってたということです。
広大な関東平野で愛馬を駆り、時には茶を点て、時に和歌を詠み、なんという夢のような優雅な暮らしだったのでしょうか。
大地を駆け、弓を射て、琴をかきならしながら神秘の歌を歌ったギリシャ神話のケンタウロス族ケイロンのような自由な世界。

いかなる時代になっても律令の権力の及ばない場所。
国を支配しようとか、富や権力を得ようとすることなどに意味などないと思えてきます。

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東の兵どもの夢のあと
(河越館の土塁跡)

ここに何時までも居たいとおもいました。
遠足の園児達の集団が過ぎ去ったあと、時間の許す限り何時までもたたずんでいました...

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そして舞台を前人未到の茨城に移し、いよいよ新たな王国へ向かいます。
河越館跡の年表にも刻まれてあった、時は935年、承平五年初めて東の兵が朝廷に反乱をおこした平将門の乱。
唯一の手がかり将門記によればその舞台は鬼怒川と小貝川にそった常総地域になるといいます。
交通不便な茨城中心部へ歩いて入る唯一の方法をついに探し当てたのが、この場所。

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(王国への扉、長大な鉄橋)
東武線愛宕駅から東に向かっ先に長大な鉄橋があり、地図上でははたして歩道があるのか行って見なければわかりません。
恐る恐る近づくと巨大な鉄骨をただ横倒ししたような通路が続いていました。
その鉄骨の通路を歩いて進んでいくと、そこには驚くべき光景が広がっていました。

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(茨城県内、複数の産業用太陽光発電所)
茨城の敷地内に入ると至る所に産業用太陽光発電所が設置されるのを見ました。
太陽光発電の普及は福島原発事故直後の再生可能エネルギー買取法(FIT)制定による効果があったと思いますが、今年そのFITも終了という話を聞きます。
FIT後も民間業者が買い取りをするというかすかな救いも残されていますが、振りかえれば、
地域や個人が主体でエネルギーを生産し利益を得るという仕組みは中央集権の日本で夢のようなことだったとおもいます。
日本史の中で一時の仮の夢よのうなFITも小さな乱だっといえるかもしれません...

再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法(概略)

再生可能エネルギーを利用することが内外の経済社会環境に応じたエネルギーの安定的かつ適切な供給の確保及びエネルギー供給に係る環境への負荷の軽減を
図る上で重要になっていることに鑑み、電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関しその価格、期間について特別の措置を講ずることにより、
再生可能エネルギー源の利用を促進しわが国の国際競争力の強化と国産業の振興、地域の活性化、国民経済の健全な発展に貢献することを目的とする。



再生可能エネルギー買い取り法により電気の買取が始まったのは平成24年の7月、
あの福島原発事故で東日本の誰もが放射能汚染による最悪のシナリオを予感し恐れおののいていた3月から約1年と4ヵ月後のことでした...




(王国の周辺第三章)戦乱の果て ~

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