戦乱の果て ~ 戦乱の地平線上で


ブレクジット、香港のデモ、いま世界で巨大な組織から独立する動きが活発になってきています。
日本もかつて、古代なのか中世なのかわからない、時間の狭間で東の兵たちが巨大な律令制に逆らいはじめた。
日本のペルセウス達、アルゴスの戦士はどこからきたのでしょうか...




・王国の周辺第三章 戦乱の果て ~ 兵乱の地平線上で

地球人類が西から東へ支配を進める流れの中で、あるとき西側に対抗する流れが起きました。
その起源を求めて前人未到の地である茨城県に踏み込むことにしました。
最初の東の兵の乱は記録によれば将門記に記された野本の戦いということになります。
野本という場所は一説に茨城県下妻の付近にあった鳥羽の江という辺りではないかと推測されています。

将門記の冒頭は欠落しており、なぜ戦いが起こったのかはっきりとした原因はわかりません。
京都から見れば反逆であり、関東の物からすれば英雄とされますが、しかし実態はそう簡単ではなさそうです。

古代史を遡って背景をさぐってみますと、
壬申の乱から続いてきた天武天皇系の時代が終わり、その後百済からの渡来氏族の血を引く桓武天皇が継承することになったとされます(宮脇氏著、平安鎌倉史紀行によれば)。

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壬申の乱後作られた古代律令制の三関のひとつ不破の関(関が原)

渡来系のすぐれた遺伝子によるものか、それまでにない緊縮財政が進められ、
一方で律令制に不満を持つ古代東北人蝦夷の抵抗や盗賊、農民が集団化する反乱に対して制圧を強行していきます。
武芸に長けた軍事貴族を国司として派遣し、桓武天皇の子孫である高望王が上総に赴任しやがて土地の有力者と婚姻関係を結びながら
関東一体にその子孫が繁栄し根付いていくことになります。
それが関東武士であり、そもそもは朝廷側だったことがわかります。

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(戦乱の地平線で)

常総水害の直後の関東鉄道が再開した初日に最初の戦いの地に向かいました。
騰波ノ江駅から東側、小貝川方面を眺めると、霞の中に筑波山がかすかに見えるだけで、そこにはほぼ何もありません。
現時点ではまだ東の兵どもが反逆者なのか英雄なのかはわかりません、しかしこの地を見れば不利な土地を開拓しようとした兵、
時同じくして国司の任期が終わって海賊に怯えながら帰京した土佐日記の作者等土着できなかった貴族とに分かれるのかもしれません。

現代日本をみても増税、災害対応、エネルギー政策、中央から地方をコントロールしようとして地方が衰退しており、、
中途半端な律令制が依然続いているといえるのかもしれません...