王国の周辺 ~ 乱雲のはざ間で


千年前、災害や感染症により平安京の中央政権と地方社会との権力バランスが崩れ始めていました。
平将門の乱の後に起きた壮大な房総三国にわたる乱、ちょうど更級日記の作者家族がいた時期でもあります。
更級日記の旅から千年に当たる2021年、上総国府跡から十数年かけ旧東海道から旧中仙道を歩き京都目前まできていますが、
その日記や史実からは何が見えるでしょうか...




・王国の周辺(第三章)戦乱の果て ~ 乱雲のはざ間で‐日記からみた乱の背景

1003年の下総の乱と平忠恒による安房の乱の間に上総に赴任していたのが更級作者の菅原一家でした。
当時国司は農民から年貢の徴収にあたっていましたが、将門の乱により税収は半減し、取りたても強行になり、
地方の反発が高まっていったと推測されますが、下総や安房での反乱に対し上総はどうだったのか日記に何らかの手がかりはないでしょうか。

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(犬上川からみる鈴鹿の山々、2020年11月)

1017年に上総赴任の後21年に京に帰った菅原家ですが、母に物語をねだり、さっそく草子を何冊も得て、
上総の継母との別れ、春にも再開できない継母に、梅の立枝は思いの他の人が訪れるでしょうと、宥められます。

その春に大納言の姫が亡くなり、悲しみの中でついに源氏物語五十巻と在中将と散逸した物語、とをぎみ、せり河、しらら、
あさうずの物語を得ます。(十六段)

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(彦根芹川、2018年11月)

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(足柄山、2006年11月)
「いづこにも 劣らじものをわが宿の 世をあきはつるけしきばかりは」(十八段)
平安京でも足柄山のような場所に住んでいたと書かれています。

「さくと待ち 散りぬとなげく春はただ わがやどがほに花を見るかな」

物語に没頭しながらも天照御神を祈念しなさい、という夢を見たことが記され(十九段)、

どこからか猫が訪れ、大納言の姫だという夢を見たので、大納言の姫かと問うと、
顔を向けながら、そうだと返事をしたエピソードが書かれ(二十段)、

源氏物語の下敷きでもある長恨歌を手に入れようと7月7日に歌を送ったこと(二十一段)、
その後、火事で家とともに猫が焼かれ、姉が亡くなり、乳母が亡くなり...

相次ぐ不幸に加え次の正月には父の任官で役職を得られないという悲報が記されています(二十六段)...

***


日記を見ていくと地方での取立て強行という犠牲の上に暮らす平安貴族も必ずしも幸せでない現実、
幸福とは何かわからなくなること、父の国司としての取立ては厳しくなかった推測もされます。
反発した民衆により帰京を足止めされた国司もあったといいます。

更級日記の作者が1021年に上総を去った後、平忠恒が安房国府、続いて上総国府を襲撃したとされますが、
乱の流れを追いながら忠恒の拠点が実際どのようなものだったか、壮大な房総半島を探し歩いていきます...

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(香取近辺、館跡にて)




王国の周辺(第三章)戦乱の果て ~

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