特集アースデイ+ 経済対策=年金任意解約可能に


21世紀、時代はグローバル経済主義から反グローバル、地球環境と国民のための社会に流れが変わったと感じます。
結局は儲け主義のふるさと納税も規制、世界を見渡せばIT課税がいよいよ始まり、オーバーツーリズム規制、顔認証を禁止する法律も制定されました。
全てもうけ主義や権力のためでなく国民を守る方向に世界の法制度が向かっています。




・総力特集アースデイ+ ~ (経済対策として)年金任意解約可能に

20世紀のただ所得倍増、考えない時代、弥生人(官僚主義)の特徴は組織力は強いが、欠点として考えずに物を言うという弱点です。
既に庶民の味方(?)荻原先生の年金だけで十分論を私達は知っていたのです。

”年金だけで足りない論”はおそらく投資を促して株価を上げる目的があったのかもしれませんが、それがそもそも間違い。
まずGPIFと日銀により株価はかさ上げされているので個人投資家としては株に投資はできません。
もし仮に今投資が有効だとしたら政府がまず自ら運用してその利益を国民に給付したり、財政に当てれば良いはず。
自分はあらゆる投資を経験しましたが投資はそんなに甘くありません。
社会のためであり、お金をもうける為にするものでもないと思います。

もし経済を本当に良くしたいなら秘策として、むしろ年金を任意解約できるようにすれば良いのです。
今の日本の不安は年金が果たしてもらえるか最大の不安要因ですから、いつでも解約できるとわかれば安心感が生まれます。
もし実力がある人はここで解約して事業なり、投資に向けることができるので爆発的な経済効果が生まれるでしょう。
無難に行きたい人は安心感から消費が爆発的に増える、年金に上積みする人が増え、おそらく結局は満期まで運用すると思います。

何より実際には”十分論によれば”老後にそれほどお金はかからないので、お金は余るでしょう。
ただ年金不安に煽られて消費が低迷しているだけです。



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日本人は最低お米があれば生きていけます。
少子化で土地があまりに余っており、弥生人が自らもたらした稲作はただ水を張っておけば自働で米が取れます。
稲作というのは何という楽すぎる罪な技術でしょうか。

昨年自分で作った米を初めて食べました。
これで自分も弥生人の仲間入りか、何かすごく悪いことをしている気持ちがしました...

特集アースデイ+ 原子力村の正体=弥生人


・総力特集アースデイ+ ~ 原子力村の正体=弥生人

温暖化や脱プラスチック問題が認知されようやく人類が何か考えて行動しようという気になってきた。
考える時代=新たなルネサンス時代に入ったとみます。

しかし依然として日本での再生可能エネルギーの普及を妨げている要因として原子力村の存在があります。
そんな物があるのか、実態がわからない正体は弥生人の遺伝子といえるかもしれません。

集団で個人を攻撃するいじめ、他民族を嫌ったり、民族一族同士の殺し合い、古代史を見れば縄文から弥生時代に中国大陸方面から入ってきた
弥生人の遺伝子に原因があると(あくまでも仮説として)推測できます。
日本の古代、万葉の時代はほぼ中国文化を真似しているようです。

その特徴が集団で何かするのが好き、ただ増えれば良い、他人を鵜呑みにする=マスコミにだまされる、考えない=敵か味方の二元論、大量生産、グローバル経済、
話し合いたくない、考えたくないから、とにかく弱いものは殺してしまうという弥生人的発想が全ての元凶といえます。

元の韓国、中国をみればもっといじめも酷いし韓国でも受験戦争が盛んで何とかして大企業や官僚を目指す。
共産主義も資本主義も結局は官僚主義、国民自らが何か考えたりすることを極端に嫌う感じがします。
その中国の古い格言で”学びて思はざれば...”というのがあって学びと考えるのバランスの大切さは古代中国の賢人は分かっていたのです。

凶悪なものに弱いものがどう対処したらいいか、まだわかりませんがとにかく正体がわかれば半分解決したともいえます。
相手が遺伝子ならそれほど怖いものではないと考える、気にしないという手もあります。

一方でいまIT雑誌では量子が話題で、デジタルから量子の時代に入っており、1かゼロかのデジタルな西洋哲学ではない
東洋思想的な技術がでてきています。
特に中国は量子の研究が進んでいますが、原子力を超える量子の時代になれば原子力村は成り立たなくなります。

また原子力村の一端を担う日本のマスコミですが、最近の政府寄りの酷さについに国連がついに動き出すようです。
最近ハンディー扇風機、ミニクーラーが流行ってきていますが、これなどもエアコンが要らなくなる小さな電力革命であり、
さらに百円ショップでは電気を使わないハンディー扇風機(のようなもの)が売られていて愕然としました。
原子力村の電力の支配を徐々に崩壊されていくのでしょう。

今年の夏はそれほど暑くないと予報されていますが、しかし天気予報も最近嘘が多いので油断せず。
トマトなどの夏野菜を大量に栽培し、グリーンカーテンを準備し、エアコンを使わないで暑さをしのぐ準備を着々と進めていきます。

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(野菜はやさしい)
ギリシャの賢人の格言、”たいていの人間は悪人”、それが当たり前。
しかし自然を見れば優しさや恵みにあふれています...

特集アースデイ+ 目覚めるケルト(縄文)の遺伝子


かつて人類の祖先は学習能力の高い種族とそうでない2種類があった。しかしなぜか学習能力の高い種族の方が滅んだという。
学習能力が高いほうが効率的で繁栄に有利なはず、自然はなぜあえて学習能力の低い方を選んだのでしょうか...




・総力特集アースデイ+ ~ 目覚めるケルト(縄文)の遺伝子

欧米で相次いで反グローバルの動き、反EU勢力が躍進していますが、この流れは20世紀の合理主義からの世直し活動期(ルネサンス時代)に入ったと見て良いのではないでしょうか。
グローバル主義は大量生産、世界が統合し制度も文化も共通化し効率化し全てつながれば幸せになれると信じてきました。

しかし弱肉強食が正しいのかといえば、ブラックバスばかりの湖は好ましいとは思えません。
店頭のバナナについて英国国営放送がしばらく前に単一DNAであることを危惧する報道をしていました。
全て統一し全世界に展開し方がコスト面でも、味の当たり外れもありませんから一見良いことに見えますが、はたしてそれでいいのでしょうか。
何かのはずみで単一システムが破綻する危険はないでしょうか。
その感情はおそらくケルトの遺伝子が感じているのだとおもいます。

学習能力は効率性の一方で聞いた話に惑わされる危険がありますし、新しい何かを創造する妨げにもなります。
それが近年の社会や経済の閉塞感、低迷の原因といえるかもしれません。

何も考えずただ数を増やすには残酷な弥生系の遺伝子が有利ですが、時々行き詰って考え直す時期、ルネッサンスが必要でそれには縄文の遺伝子が有効かもしれません。
北欧の子供が勇気を出して温暖化を訴えるために金曜日に学校に行くのを止めて一人で座り込みを始めたといいます。
これもバイキングの遺伝子。

某巨大IT企業が金曜を休みにするそうですが、これは大人の気候革命のはじまりとなるでしょうか。
新しい物を創造するには勇気を出して、時にはガラパゴス化することも必要です。

とにかく既製品には飽きがきていることが最大の問題で、遺伝子が何か世の中にない物を作りたいと欲しています。

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(新麦入りお米パン)
今年の麦は違う。晴天続きで麦が大量生産となりましたが、それでかつてない極上黒パンができてしまいました。
スーパーでも最近ふとみると、さりげなく普通の食パンにお米やライ麦が入っているのを発見しました。
小麦離れで食パンを買わなくなっていましたが、少し買うようになるかもしれません。


ベランダのお米作りも好調ですが、縄文人の遺伝子からすると、こんな水を張るだけで簡単に食料を得たらなにか自然に申し訳ない、悪いことをしているように感じます。
さらに他人が作った米を徴収したり、さすがにそれは楽しすぎ、弥生人の官僚主義、悪どさをしみじみ感じてしまいます。

せっかく作っているベランダの稲が何者かに食いちぎられていますが、いったい何者の仕業か。
イナゴなんて最近見かけないはずだし...

(どこからか)イナゴちゃーん
えイナゴいるの、いったいどこに。

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(ベランダの稲作り)
この人達、どうもうちの猫達がイナゴと呼ばれているらしい、なぜでしょうか...

戦乱の果て ~ 二条の乱


かつてきぼうの党という政党が誕生して、女性首相誕生かと多くの人が期待を持ったのもつかの間、
一瞬だけ希望の光が見え、ベーシックインカム、脱原発という希望の言葉を残して、
そしてまたすぐ消えていきました。
女性が輝くはずだったのではないか、いやそもそも人が輝くことなどありえるのでしょうか、世間でそのような場面を見たことがないきがします。
しかしそれは歴史の記憶に留めるべき一つの小さな乱だったかもしれません...




・王国の周辺第三章 戦乱の果て ~ 二条の乱

古代なのかかあるいは中世なのか、何時とははっきりわからない時代のはざ間にかつて小さな乱があったという。

弥生人が縄文人を追い出し朝廷により日本を支配したもののその律令制も程なくほころび始めたといいます。
その平安末期から鎌倉の時代に栄えた有力な関東武士のひとつ河越館跡が、ここに確かにあったのです。

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(河越館跡、壮大な敷地)

河越氏 ~ 桓武平氏秩父氏の流れを汲む武蔵国で最も勢力を誇った武士。1180年源頼朝が伊豆で挙兵すると始め敵対したものの、後に御家人となって平氏討伐軍に参戦。
河越重頼の娘が義経の妻に選ばれるほど勢力を持っていたが、後に義経と頼朝の仲たがいから一時衰える...
(河越館跡の案内板より)

歴史上の謎であった、初めて朝廷に勝利するという偉業をなしとげた頼朝がなぜ義経を殺さなければならなかったのか、
こんなところにまで、兄弟でさえも他を排除する人間の残酷な性が絡んでいたとは。


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(館跡の東(左)が入間川、西(右)が武蔵路方面)

河越館は入間川の水運と西にある鎌倉街道を結ぶ物流の要衝にあり、当時の都市の役割を持っていたとされています。




中世の日記紀行文学「とはずがたり」によれば、作者の後深草院二条は宮中の下らない遊びに怒り、反乱を起こしたことが書かれています。
確かそれは宮中の女性達に蹴鞠をさせるというようなものだったようです。

その後二条は出家し東の国まではるばると歩いてきて鎌倉や浅草寺、岩淵の渡し(赤羽辺り)、そして堀兼の井まで来たといいます。
藤原定家も明月記の中で宮中の煩わしさに嘆いていましたし、伊勢物語の主人公も都の煩わしさに東の国に逃れてきたと書かれています。
堀兼はこの路のすぐ先である狭山市との境にありましたから、当時の水運の要所であったこの場所にも訪れていたかもしれません。
もちろん伊勢物語のみよし野とされる入間郡三芳もすぐ傍です。

ここは中央集権があまり好きでない人達が集まる場所、京都ではない何処か、なのかもしれません...




(王国の周辺第三章)戦乱の果て ~

特集アースデイ+ 残虐行為の原因に迫る


・総力特集アースデイ+ ~ 戦時中の残虐行為の根源に迫る

今年はいままでと違った角度で地球環境の問題の根源の謎がわかりかけてきたきがします。
地球の日アースデイの背景にキリスト教があること、さらにその背景にある世界の残酷話、シンデレラ伝説やギリシャ神話に伝えられてきた人間の残虐さ強欲さです。

参院選も近づき憲法九条が大きな争点になってくるとおもいますが、依然として多くの国民、特に戦争を知らない世代が戦争の本当の恐ろしさをわかっていないかが、
平和憲法を守る上で大きな課題となってくるとおもいます。
軍部の体制とか技術的な問題でなく、なぜ日本兵が残虐な行動にでたのでしょうか。

従来の戦争体験だけでは伝えきれていない、人間の本当の残虐さは民話などでよりはっきり知ることできます。
アイヌ民話や鏡のように詳細な西洋人のアジア紀行などにみる日本人の残酷行為、そして朝鮮半島でも、さらに西に行けば行くほど
だんだん残虐になっていくではないですか。
ギリシャ神話では(もし事実だとすれば)人間が会えば殺すか、犯すか、自殺するかそのどれかしかないくらいです。

軍隊がもし強力な武器を持っていれば、残虐性が開放されてしまうということかもしれません。
見渡せばパワハラは現代でも、いつどこでも制御できず起こるのと同じ、選挙の一票の格差が解消されないのもパワハラです。
もし憲法九条改正が正しいのなら、パワハラが制御できるのだというであれば、まず一票の格差なしで勝負すべきであり、
不公平な国会の状態で強引に憲法九条を改正をしようとするなら、やはり不当なことだと自ら表していることになります。

もっと恐ろしい説は最新の遺伝子研究の結果、日本人の遺伝子の平均で8割が弥生系で2割が縄文系ということで、
西日本で大噴火があって縄文人が消えたところへ大陸からあらたな民族がきたという説がありますが、
大陸から来た弥生人が縄文人を犯したり皆殺しにした結果だという説です。

ぞっとする話ですが、なぜそんな昔のことがわかるのかといえば、アイヌ民族も和人(つまり本州の私達)により男は強制労働へ女は慰みものにされた、
これは伝承ですからほぼ間違いなく、それから旧日本軍によるとされるアジアでの女性の性的虐待事件なども説明ができるかもしれません。

弥生人の遺伝子は恐ろしすぎます。
どうりで学校で職場で、地域でこうもイジメが止まないのか、これでわかりました。
救いようがないように思えますが、わずかな希望はアイヌ人や沖縄の人は本州よりさらに縄文遺伝子の比率が大きいのでより優しい傾向があるかもしれません。

自分が考えた仮説は家族の名前で優しい傾向を区別できるかもしれないとか、また富士山が好きか嫌いかという説もあります。
大正の昔の作品で既に環境問題に触れていた林芙美子は富士山が嫌いだと書いていますが、自分も富士山を見ると今にも爆発しそうで恐怖を感じます。
幕末を訪れたシュリーマンの旅行記では噴火する富士山のかなり鮮明な地獄絵図を見たことが書かれています。

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(東海道から間近に見る富士山)
夜中に東海道を歩いていて嫌なな気配を感じ、ふと横をみたら空を覆う巨大な物体があり、とても自然の物体でない何か恐怖を感じて心臓が止まりそうになった記憶があります。

弥生人は大陸からきており集団性、学習性が高い、人から綺麗だと聞いて綺麗だと感じる、縄文人は自らの感性で危険だと感じる。
東北に伝えらえている津波てんでんという言葉もその感性に近いと思われます。
東京某巨大テーマパークが静岡という候補地を避けたのが巨大な富士山が見えたからという説があります。
グローバル化と反グローバル、学習能力と感受性、これらの遺伝子バランスが人類の歴史でもあるのでしょう...

特集アースデイ+ ごみゼロ、減らす経済

・総力特集アースデイ+ ~ ごみゼロの日、減らす経済

いうまでもなく5/30がごみゼロの日でしたが、当ブログのテーマでもごみ削減がもっとも重要な課題でした。
20世紀の時代遅れの経済優先、所得倍増政策にとらわれている大人に対して世界中の子供達が金曜日に学校をボイコットしているといいますが、
子供の未来を奪っている大人として。せめてできることは豆腐と納豆を不買運動で容器ゴミを削減しています。

それ以外のものパン、ケチャップ、ヨーグルト、ジャムなどだいたいは自家製で何とか作れます。
消費を悪くしている原因はまちがいなく経済優先そのものではないでしょうか。
回収あるいは再利用可能な豆腐や納豆容器、あるいは家電が売っていればもっと買うとおもいます。

今あれば良いと思うのはNHKや民放が映らないテレビで、これがあれば百万円でも多くの人が買うとおもいます。
消費者の購買欲をそそる方向が変わってきてことに大企業や官僚、政治家が気がついていないことが経済低迷の根源でしょう。
もっと経済界の富裕層、官僚が一般市民と地域でふれあって会話すればギャップを解決するに違いありませんが、身近で公務員や役人に会ったとことがありません、いったいどこに住んでいるのでしょうか。

相変わらずマスコミはFITによる電力賦課金の値上がり騒いでいますが、自然エネルギー普及により多少電気代の負担金が上がることは、
それこそ環境をきれいにするという価値が上がって、値が上がって良いことのはずなのに、なぜそれを非難し、
いみもなく値上がりしている生活必需品やアイスや運賃の値上がりは肯定するのでしょうか。

ものや情報が過剰、過剰サービスでうんざりしていいる時代、過剰な何かを減らす経済が求められている。、
引き算の経済、雑然としたいらない情報や環境を綺麗にする方向の価値を消費者が求めています。


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(間違って塩を入れ忘れた、減塩お米パン、ゆずピール入り)

特集アースデイ+ 市民主義の時代へ


・総力特集アースデイ+ ~ ファースト = 市民主義へ

欧州議会選挙での投票の結果では反EU勢力が躍進、イギリスでも新党ブレグジット党が支持を伸ばしているといいます。

主要メディアがこれを経済目線から見て身勝手とみているようですが、経済のために暮らしがあるわけではありません。
地球環境や国民の暮らし考えれば自然な流れととることができます。

今年はアースデイの裏側にキリスト教の復活祭があるらしいということ知って、20世紀に続いてきた行き過ぎたグローバル経済を見直す必要があることは誰もが感じていることです。
人間の残酷さと欲を何らかの手段で止めないとノアの洪水により滅亡するという教えをもう一度再認識する時が来ています。
東洋の思想も同じ、さらにギリシャ神話でも人間の欲の恐ろしさと最後の方に7賢人の話があって、
それによると最初の賢人の言葉が”何ごとも度を越すな”です。

20世紀公害を出し福祉を怠って権力と裕福さを求め、何も考えずただ遊んできた時代でしたが、
21世紀はもう経済主義でなく我に返って真剣に国民が自身の生活を考える時代であり、あらたなルネサンス時代がきたといってもいいかもしれません。

社会主義、共産主義でも資本主義いずれも同じ官僚主義となっており、権力、暴力で抑えるのでなく国民が地域主体で話し合いで地道に解決する市民主義という答えに行き着くのではないでしょうか。
日本では選挙に向けて野党の着々と共闘が進んでいるようです。
争点は憲法9条改正反対、脱原発はもちろんのこと、とにかく経済のために国民が犠牲になる社会から脱却を目指してほしい。

”大企業を優遇して財政を良くしなけらばならない”は根拠がなく、財政はいくらでも技術により効率化したり節約できるので経済のために国民を犠牲にする根拠はますます疑わしくなっています。
しかし節約は確かに難しいことです。

身近な自治会やPTAも運営が重しになっているといいます。
少子化で昭和に作った自治会館の維持をどうするか、新たに加入する人に何万もの入会金を要求れば誰も自治会に入らなくなります。
一方で空き家をなぜ活用しないのか、国の縮図がここにもあって、これを解決すれば政治の問題も解決します。

SDGSのように多様な問題を考える方法とはべつに一つの問題を解決すればすべて解決するという方法もあるとおもいます。
市民、地域が主体になれば、再生可能エネルギーの普及、農業の維持、地産地消が進めば、まず公害の問題、大気汚染の改善、熱波や水害の軽減、高齢者の活躍、それらから得られる健康、
ほとんどの社会問題がお金をかけずに解決するのです。

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(地域で作られたお餅)
この初夏は天候に恵まれ太陽光発電も好調、この時期はイチゴや麦も大量に収穫、正月にもらったお餅もまだ大量にあってそれをまだ焼いて食べています。
これだけエネルギーや食料にあふれていてなぜ、社会に悩みが生まれるのか、どこから生み出されるのか不思議です。
東洋思想では心が問題を生み出しているといいます。


グローバル経済のために社会があるのでなく、国民や地域のための社会作りへの良い流れになっていると思います。
しかし残念ながらそれをやっても、常に他人をいじめことを止められない社会、気候変動による熱波や洪水、年間数百万人も死んでいる大気汚染、海洋汚染など滅亡を免れる保障はまったくないでしょう。

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(ふとした小さなことが全てを表す)
愚かな人間を哀れでもなく、さげすむみでもなく、戒めでもない、
そして希望をもたらす表情でもない、それらどれでもない微笑みで、猫がこちらをみています。

東洋思想にある”全ては仮のものでしかない”という現実も受け入れなければならないのかもしれません...